なぜかカメルーン
まず、カメルーンに行くことになったいきさつを簡単にお話しましょう。 3年ほど前のことです。ぼくの妻の高校の同級生が、草加の居酒屋で一人のカメルーン人と出会いました。ワッシー・ビンセントです。 カメルーンの国立楽団のドラマーであったワッシーは、いまから13年前、朝日新聞の文化交流事業で来日。そのとき、新内三味線と出会います。 カウントできないリズム、あいまいな音階に驚いたそうです。どうやってタイミングを合わせているのか、何を基準にチューニングしているのか。また、そのほかの日本の音楽を知り、中でも音頭のリズムがカメルーンのリズムと似ていることにも気付きました。 そしてワッシーは日本に居残る決意をします。新聞社の人のお世話になりながら、日本語を覚え、新内の富士松菊三郎さんに師事。と同時に徐々に知り合いを増やしていき、バンドを組んで活動を始めます。 ぼくが初めて彼と会ったのは、ワッシーの来日10周年記念ライブでした。既存の音楽ジャンルに当てはめにくい音楽でした。編成は、ギター&サックス、ベース、コンガ、キーボード、そしてワッシーが曲によってドラムと三味線を使い分けます。バンドで弾く三味線は新内の細竿ではなく、津軽で使う太棹です。一般的に思い描くアフリカの音楽とは違います。ラテンぽくもあり、ジャズっぽくもあり、ときには演歌や民謡のようでもあります。ダンサブルな曲もあれば、哀切な曲があったりもします。中にはManu Dibangoを思わせる曲もありましたが、でも、どの曲からも独特の世界観、オリジナリティを感じました。また、ぼんやり聞いているとわかりませんが、実はとても複雑なポリリズムが使われ、構成も重層的です。 ![]() ぼくは、すぐにその音楽が好きになりました。それからしばらくして、ぼくは和装のワッシーにも会っています。富士松一門の公演で、富士松ワッシーとして襲名披露されたときです。すっかり着物に着られているその姿は笑えましたが、日本の文化に興味を持つだけでなく、自分のものにしようとしている彼の姿勢に感銘を受けたのでした。 ![]() 以来、ぼくは彼のライブに通い、酒を酌み交わしながら徐々に親しくなっていき、CDの制作を手伝ったり、音楽教室で彼からドラムを習ったりするようになりました。いま付きあっている人たちの中で、ワッシーは最も親密な友人の一人です。 だから、ぼくにとって、カメルーンを知ることは、ワッシーが日本を知ってくれたことへの返礼でもあったのです。 庭を横切る隣家の放し飼い猫と目が合ってしまった。向こうは臨戦態勢なのに、こっちはコンニチハモード。痛い目に遭うかも知れないけど、いいことだよ。
![]() はじめに
2月上旬、カメルーンに行ってきました。ことの顛末は、食の話題を中心に日記を公開しているmixiで少し書いたのですが、mixiは会員以外の閲覧ができないため、いずれここに書かなくては思いつつ、いまに至ってしまいました。 ぼくはプロのライターです。海外取材も経験があります。これまで、10数カ国に旅し、いくつかの媒体に記事を書きました。文章を書くことが子供の頃から大好きで、それを仕事にできたことを本当に幸せだと思っています。 ところが、書き始めることを逡巡した理由もここにあります。今回の旅は仕事ではありません。恥ずかしい話ですが、仕事でなく旅行記を書くことに「もったいない」という気持ちがどこかにあったのです。 旅から帰って3ヶ月間、自分がなぜ文章を書くことを子供の頃から好きだったのか考え直してみました。本当はおしゃべりなのに、自分の気持ちを伝えることが苦手で、いつも「誤解されている」という思いが強く、それが寂しかったからです。 そして、やっと気付きました。このブログだって、だれが読んでくれようがくれまいが、自分を自分でもっとよく知るために始めたはずではないかということに。 また、この自分で自由に表現できるブログという媒体に、旅行記を書くことは、ある種の義務でもあると思い到りました。 カメルーンに旅立つに当たっては、ぼくもネットを中心に情報を集めましたが、その量はとても少なく、「ワールドカップの際にあれほど話題になったのに」と驚きを禁じえませんでした。そこで、ぼくと同じようにこれからカメルーンに行ってみたいと思っている人、行かないまでも興味を持っている人のために、ぼくが見聞し体験してきたカメルーン事情を書き記したいと思ったのです。 冒険旅行をしたわけではありません。首都であるヤウンデに5日間滞在しただけです。帰国してからカメルーンに詳しい人に話したら、「カメルーンまで行ってそれだけ?」とあきれられもしました。でも、たとえ小さな旅でも、ぼくにしか捉えられなかったものもあるはずだと思うのです。 自己満足に終わらないように、冗長にならないように心がけはしますが、なにせ個人旅行なので、退屈なところも多々あると思います。興味のある方は、しばらくお付き合いください。 (たまには思い出シリーズとネコもはさみます) ![]() たいていの人が、小学校か中学校のキャンプで、1回はやったことがあるのではないでしょうか。たぶんカレーか豚汁とセットだと思います。「始めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いてもふたとるな」って習いませんでしたか? おこげがおいしいんですよね。やたら仕切りたがる子がいたりしてね。きっと大人になって、鍋奉行になっていることでしょう。キャンプ好きな人でもない限り、大人になったらなかなかやる機会はありませんが、食べることの原点を見つめることができるかも。
[ぼくの場合] なぜだか覚えていませんが、マイ飯ごうを持っていました。学校のキャンプでも、家族のキャンプでも、つきっきりで火加減を調節して、うまく炊くことにプライドをかけていました。なんでだろう。へんな子です。大人になって、鍋奉行にはならなかったけど、「つきっきりで火加減をみる料理を作ること」は大好きです。「ところで母さん、ぼくのあの飯ごう、どうなったのでしょうか」 ![]() どうして、かごや箱、袋なんかの中が好きなのかね。見るからに落ち着いているのはわかるけどさ。籠は加護に通じるっていうことですか?
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女の子でも、学校でソフトボールくらいやったことはあるはずです。キャッチボールって、相手が取りやすいように投げることが大切なんですよね。そういう意味で、子供のころのキャッチボールって、やっぱり性格が出ていたと思うのです。考えてみれば、決して楽しい遊びじゃなかった。どっちがうまいかなんて、静かな戦いがあったりしてね。でも、それはそれで小さなコミュニケーションの訓練だったのでしょう。キャッチボールのできる場所が少なくなったことと、野球の人気低迷はちょっと関係あるかも。
[ぼくの場合] 目に軽い障害があって、移動するものの距離感がつかめないぼくは、キャッチボールが苦手でした。父とキャッチボールをやっても、ちっともとれないから、互いにだんだん無口になっていくのですが、それでもたまにとれたときは、すごく嬉しかった。忘れもしないのは、小学校1年生の4月末のこと。級友のS君と日曜日にキャッチボールをして遊びました。案の定ぼくはことごとくキャッチできなくて、それでも続けてくれるS君をいい友達だと思ったのですが、月曜日に学校に行くと、S君がそんなぼくのことを言いふらしていて、すごいショックを受けました。でもぼくは、野球をやるのも観るのも嫌いにはなりませんでした。ぼくは、100回に1回しかなくても、ぼくにもとれる球を投げてくれる人がいることを知っていたからです。 ![]() ずいぶんくつろいでいるけどさ、君たちはそうやって捨てられていたんだよ。覚えてないの? トラウマってないみたいだね。ネコだから?
![]() 「気がついたときはもうやってたよ」と言う北国育ちの人は、初めてのときじゃなくてもいいから思い出してみてください。というのも、スキーって特別なレジャーだと思うからです。行為も景色もシンプルなだけに、感想も人それぞれで、それは自分の性格の一端を象徴しているような気がするのです。楽しかった? 怖かった? それとも「きれい」だと思いましたか? 一時期、アフタースキーやファッションのことばかり語られていましたが、けっこうスキーって、静かに自分と向き合えるスポーツの一つだと思うのです。スキーが廃れたのは、その辺にも理由があるような気がします。まだ経験のない人は、ぜひ一度トライしてみてください。
[ぼくの場合] 瀬戸内育ちなので、子供のころは身近なレジャーではありませんでした。小学校6年生のときだったかな。1回だけ行ったことがあります。怖かった。寒かった。足が痛かった。昇っては降りる行為の繰り返しが修業のようで、とても遊びだとは思えなかった。でも、いつもよりきれいに感じる空気は好きでした。よく覚えているのは、マンガのように雪に人形をつけたくて、大の字にダイブしたこと。立ち上がって見下ろすと、意外と一人前の大きさで、そのことが嬉しかったな。 ![]() リズムが窓辺で昼寝している。読書に疲れたらしい。兄のドラムが大好きだから、ドラマーになるための本を読んでいたのだ。そんなわけないか。
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サンタクロース、アニメのヒーロー、おばけ、荒唐無稽な将来の夢。子供のころは、現実と空想の境目がはっきりしていませんでした。大人になって振り返ると、「どうしてあんなこと信じていたんだろう」と、自分のことながら笑ってしまいます。大人になるにつれて、空想は現実の中に組み込まれていきますが、なくなってしまうことはないはず。隠れてしまうだけです。実現の可能性が低いことはわかっていても、空想する心は失いたくない。現実逃避じゃなくて、まだ会ったことがない自分に思いを巡らせたい。子供時代の空想は、大人になって自分に垣根を作らないための練習だったんだと思います。
[ぼくの場合] ぼくは、どちらかと言うと、現実的な子供だったと思います。空想はいつもしていたけど、それは現実的な空想で、アニメのヒーローなんか、かなり小さい頃から作り物だと思っていました。5歳の頃、ウルトラマンを観ても「背中のピラピラの中にファスナーがあるんだよね」としらけていたのを覚えています。ところが小学5年生のとき、ぼくは心のどこかで、仮面ライダーにはなれるかも知れないと思っていました。なんでだろ。子供なりに、科学の可能性を感じられたのかな。それとも、強くなりたかったのかな。 ![]() 大人になっても、ずっと好きでいられたら素敵だと思います。でも、お父さんって、ときには厳さがうっとうしかったり、思春期には理由もなく嫌いになったりする。大人になって疎遠になったり、特に同性だとなんだか付きあいにくくなったりもする。お父さんって、つらいなあ。せめて、好きだったお父さんのことを思いだしてあげましょう。そしたら、今度会ったときに、やさしい顔をできるかも知れない。もう亡くなっているなら、いい供養になるかも知れない。そして、自分がお父さんになっているなら、子供に楽しい思い出を増やしてあげられるかも知れない。
[ぼくの場合] 腕にぶらさがるのが大好きでした。厳しい父だったけど、このときは父も楽しそうでした。最後の「ぶらさがり」をよく覚えています。小学校1年生になったばかりのとき、いつものようにぼくは父の腕にぶら下がりました。ところが父は、ぼくを支え切れずに落としてしまいました。そのとき実は、ぼくは腕を軽く骨折したのですが、ぼくは我慢して平気な顔をして、次の日学校に行って、そして帰宅して「学校の校庭で転んで腕が痛い」と言い、病院に行ったのでした。父は「本当は、きのう落ちたときにやったんだろう」と言いましたが、ぼくは「学校で転んだ」と言い張りました。それ以来「ぶらさがり」はやっていません。ぼくはいま、「最後のぶらさがり」を骨折という事件によって鮮明に思い出せることを、よかったと思います。 ![]()
どうしてレジ袋が好きなんだろう。DNAには組み込まれていないはずなのに。太古の何かの代わりなのか。そのレジ袋、有料なんだぜ。
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